オフィスアカデミー時代

 辰巳出版をやめ、ぶらぶらしている私に長谷川さんから電話がかかってきた。
 長谷川さんも、私が辰巳出版を辞めて間もなく同社をやめ、今は、オフィスアカデミーにいるという。オフィスアカデミー――「宇宙戦艦ヤマト」の西崎義展の会社だ。長谷川さんと西崎義展が何処で知り合ったのか知らないけれど(結局、最後まで聞くことはなかった)、公式ファンクラブの事務局長のようなことをしているらしい。そして、そのファンクラブの機関誌を作っていた男が辞めてしまったので、急遽代りを探しているところだが、やらないか、という話だった。
 私は「アニメ」といえば、ポパイとかミッキーマウスくらいしか知らなかった。もちろん、日本でテレビアニメが人気を集めていることぐらいは知っていたと思うけど……どうも、それもはっきりしない。ただ、長谷川さんから電話をもらった前日、たまたま見た日本経済新聞のコラム記事で、今「宇宙戦艦ヤマト」というテレビアニメが人気があること、それも、放映終了後に人気が高まり、その人気を当て込んで「さらば宇宙戦艦ヤマト」という劇場映画を製作中であること等々が書かれていて、ちょっと興味を抱いていたので、長谷川さんからの仕事の依頼に対して、大袈裟に言うと、運命的なもの、というか、要するにタイミングがあっちゃったということなのだが、すんなり引き受けた。
 オフィスアカデミーは、地下鉄の九段駅から靖国神社に向かう急坂の途中の総鏡張りの派手なビルで、ファンクラブの事務所はその向いの雑居ビルの一室にあった。長谷川さんの他、5、6人の若い女性の事務員がいたが、若い割には妙に落ち着いた感じの女性ばかりで、後で聞いたら、「みんな学会員だから」ということだった。(もちろん、西崎代表も学会員だ。『さらば〜』の監督の舛田利雄も……)そう教えてくれたのも、事務の女性の一人で、彼女自身は「私はちがうけど」と言っていた。どこかの国の話みたいだが、たぶん、彼女が学会員でなかったことは本当だったと思う。(勘だが)
 仕事の内容は、先に書いたようにファンクラブ機関誌の編集だが、すべて長谷川さんが西崎代表と相談して決める。ともかく、西崎代表の言葉が絶対である。身体もでかいし、「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったし、時々、長谷川さんに連れられて鏡ばりビルまで西崎代表に会いにいったが、みんなぴりぴりしていた。もちろん、私も緊張の極だった。いつも、目がトロンとして、血走っていて、ちょっとでも気に食わぬことがあったら、何をしでかすかわからないような雰囲気があった。
 ただ、無類の音楽好き、特にジャズが好きで、音楽のことを話している時は、「音楽が好き」という純粋な気持ちが伝わってくる感じがした。したがって、音楽に関わっている時は、本人も周囲も和んでいた。
 あと、スターシャみたいな、スレンダーで髪の毛の長い長身の美女が数人、スターシャみたいなロングドレスに身を包み、秘書として代表の身の回りの世話をしていた。長谷川さんは、親指を突き出して、「ああいうのが好みなんだよ」と笑っていたが、今考えると、「好み」というより、頭の中で、現実と仮想(ヤマトの世界)の見分けがつかなくなるくらい、没頭していたのだと思う。
 ファンクラブの仕事は、三、四ヶ月で終わった。「さらば宇宙戦艦ヤマト」の劇場公開に向けて、その製作情報を少しずつ機関誌で明らかにして期待を高めるというのが目的だったから、試写会をもって、私の仕事は終わりであった。

 しかし、「さらば〜」の試写会の成功は、本当に、日本映画史上空前絶後といっていいのではないかと思う。
 情報管理がハリウッドなみに徹底していて、ストーリーはもちろん、沢田研二のエンディングテーマも、実際に会場で歌声が流れるまで、沢田研二が歌う、ということを含めて、誰一人知らなかった。作品的にも、「死後の世界」を、あたかも現実の延長のように描くという、その後、世界的に一般的になった技法のはしりであったように思う。
 こうして、上映終了後、西崎代表に握手を求めて、主要会場であった渋谷パンテオンの廻りをファン達が十重二十重に取り囲んだ。それは、仕込みでも、やらせでもない、ファン達の間で自然発生したものだった。
 ただし、「盛り上がった」のは試写会であって、本番は、ヒットせず……とまでは言えないけれど、試写会に見られたような熱気、勢いに欠け、ずるずると尻すぼみになり、かつての熱気は二度と繰り返されることはなかった……ことは周知の通り。
 前夜祭で盛り上がり過ぎて(実際、試写会のことを「前夜祭」と称していたのではなかったか)、本番でぽしゃるということはよくあることだ。しかし、西崎氏は、そのファンの盛り上がりを忘れかねたのか、「夢よもう一度」とばかり、何度も何度も挑戦しては、失敗し、その間も傲慢な性質は変わらず、結局身を誤らせることになってしまった。私は、ファンクラブの仕事を辞めた後、「ヤマト」と直接の関係はなくなっていたが、それでも西崎氏の焦りは手を取るようにわかった。あそこまで盛り上がってしまうと、「夢よもう一度」という気持ちになることもわかる。
 「ヤマト」の著作権については、松本零士と西崎代表の間で延々と争奪戦が続き、解決したのかどうか知らないが、試写会の会場出口で西崎氏に対し握手を求めるファンの列が延々と続いたのは、「さらば〜」が、プロデューサーの西崎義展の作品であることをファンが直感的に理解していたのだと思う。単に、西崎氏の商魂、自己独占欲のせいばかりではないだろう。

 氏の身の上話を言うと、もともと日舞の西崎流の御曹子だそうで、その後、理由はしらないけれど、勘当の身となり、いろいろ苦労を重ねた末、テレビアニメのプロデューサーとなり、「ロッキーチャック」「海のトリトン」等を経て、「宇宙戦艦ヤマト」で大成功を納めたということになる。(その間、「勘当」とはいえ、その代償にかなりの資金援助はあったと長谷川さんは言っていた……ような気がする)しかし、結局、私がファンクラブにいた頃が氏のピークで、その後、ウェストケープ(=西崎)なんとかというプロダクションを作ったりしたが、坂道を転がるような落ち目を食い止めることはできず、最後には麻薬所持、銃砲不法所持で捕まった。「麻薬所持、銃砲不法所持」と言えば、日本ではかなりの重罪だ。それも、一度ならず、二度三度と(三度ということはなかったかな。しかし、同じ罪名で再犯で捕まったことは確かだ)捕まっているから、多分、七十歳近いであろう今も、服役中ではないかと思う。
 こういった「その後の西崎氏」の姿を見ると、正直言って「可哀想」に思わないでもないが、それは、氏の「音楽好き」を通じて、氏の「純粋さ」を多少なりとも感じていたからであって、普通に見るならば、まず「自業自得」というところだろう。新聞で氏の逮捕を知った時も、全然驚かなかった。むしろ、イメージにぴったりすぎて驚いた。

 そこで、今回、ウィキペディアで調べたら、西崎義展――本名弘文――は、1934年生まれ。ということは、2007年の現在、73歳! 麻薬不法所持で有罪判決を受け執行猶予中にフィリピンに渡り、「海賊応戦のため」に購入したマシンガンを日本に運び込もうとして発覚、再逮捕、現在服役中とあった。ウィキペディアの記事自体が4、5年前のままなので、現状は判らないが、出所したという話は聞いていないので、今も刑務所にいるのだろう。
 そこで、ウィキペディアにリンクされているサイトを見たら、哀れを極めた。本人、長年の不摂生がたたったか、病魔に祟られて、車椅子がないと移動もできない状態で、裁判所に刑期短縮の嘆願書を出しているが、その本人への「通信人」が設定されていて、その名前が「相原」だった。……もちろん、ヤマト搭乗員の一人だ。「なんで、相原? 相原、お気に入りだったっけ?」とか思ったが、調べたら、ヤマトの通信班班長だった。冗談でなく、泣けてきそうだった。

 ところで、「犯罪」といえば、こんな、とんでもないこともあった。
 前にもちらりと書いたことがあるが、「月光」の編集部が四ッ谷にあった頃、突然、刑事がやってきて、私に向かって宇宙戦艦ヤマトのファンクラブ事務所にいた○○という男について、知っていることがあったら教えてくれという。聞き覚えのない名前だったので、そう言うと、刑事は、「そんなはずはない」と言って、男がファンクラブでどんな仕事をしていたかを話した。私は、言われてやっと、長谷川さんの電話を受けて、私が最初に事務所に顔を出した日に一度だけあったこと、その後はまったく会っていないことを思い出した。では、その彼がファンクラブでどんな仕事をしていたか、残念ながら私の口からは言えない。なんでかというと、刑事が言うには、その彼と、事務員のNという女性が恋仲で、それがこじれて(彼は既婚だったと思うが、だったら不倫関係の精算だ)、Nさんを殺したというのだ。しかし、その殺人事件は、今ではとっくに時効になっている。
 時効になってしまったのなら、「彼」を犯罪者として扱う訳にはいかないだろう。だから、「彼」がファンクラブでどんな仕事をしていたかも、言えないわけだが、それはともかく、刑事の口からNさんの名前を聞いて、びっくりした。Nさんなら、よく覚えているだ。長身で(170センチ近くあった)、スタイルが抜群によかったのだが、このNさんが、長谷川さんと無茶苦茶仲が悪く、しょっちゅう大げんかしていた。そういうこともあって、印象に残っていたのだが、ただし、長谷川さんが、その「彼」ということではない。(長谷川さん、失礼)
 しかし、件の刑事が、あまりにもあっさりと「○○が殺した」と断言するので、本当ですかと聞くと、間違いないと言い、その彼が、どこでどのようにしてNさんを殺したかまで、話してくれた。具体的に言うと、高知県の某岬から彼女を突き落としたのだそうだ。しかし、死体が上がらないため、「殺人事件」として立件できないという。「死体なき殺人事件」として一時期、週刊誌ネタにもなっていたことも教えてくれた。「死体がなくて、Nさんが死んだことがどうしてわかるのか」と聞いたら、彼女の銀行の預金口座が、ある日を境に、一円も引き出されていないことが証拠だと言っていた。確かに、人間、金がなかったら一日として生きてはいけない。預金口座は、その人の生存状態を正確に反映しているのだ。
 その後、被害者の「死体」がなくても、決定的な状況証拠があれば殺人罪として立件できるようになった。それは、池袋の「グレー」というゲイバーを舞台にした殺人事件だが、「グレー」といえば、沖雅也が日景忠男と知り合った店だ。なんだか、いろいろ話が繋がる……。
 それはともかく、刑事として聞くべきことはすでに長谷川さんや、同僚の女の子たちに聞いた後、最後に「もしかしたら……」ということで、一応私にも話を聞いておこう、といった程度の話だったのだろう。私と、その男との接点は初出勤日のただ一度しかなく、その後、接触する機会も皆無であることは、刑事も知っていたはずだ。実際、私は「彼」について、なんにも知らない。「あなたは、この机に座っていて……」と、当時の事務所の見取り図を書いて説明してくれたが、「よくまあ、ここまで正確に調べるものだなあ」と感心してその図を見ていたことを覚えている。おかげで、いろいろ思い出したが、残念ながら、「彼」のことは、ただ、痩せた、背の高い男性だったということしか思い出せなかった。刑事も、「何か思い出したら、電話してくれ」と、テレビドラマのような台詞を残して帰ったきり、二度と現れることはなく、殺人事件も、その後暫くして時効になってしまったというわけである。

 しかし、だ。私はその「彼」とは、ほとんど何の関係もないからいいけれど、身近な人は、今現在、「彼」とどうつきあっているのだろう。刑事の口ぶりでは、「犯人は○○だ」と言って、○○の周辺を探っていた筈だ。あるいは、Nさんの両親はどうしているのだろう。私に、「○○が犯人」と明言して、Nさんの両親に黙っているはずがない。我が娘を殺した犯人を知りつつ、黙って耐えるしかないのだろうか。その通り。耐えるしかない。
 いや、○○自身、今どのような気持ちで日々を過ごしているのだろう。多分、自分の過去のことは誰も知らない、遠くで暮らしているのだろうが。
 「殺人」のような凶悪行為に時効が存在する事自体おかしいと、未解決事件が多くなったせいもあって、最近よく言われるようになったが、Nさんのケースを考えると、つくづく考えさせられる。(もちろん、「彼」が犯人ではない可能性もあるけれど、私としては、Nさんの死体が見つからないだけで、真犯人であることは間違いないと警察から聞かされたことを、消しがたい事実として、今、書いているだけである)

 ところで、「オフィス」と、「アカデミー」の間には「・」が入るのか、入らないのか……調べればわかることだが(ウィキペディアで調べたら、「オフィス・アカデミー」となっていた)、西崎代表は、このような小さいことにこだわるところがあった。もちろん、名前の表記は決して小さい問題ではないけれど……。

 というわけで、「オフィス・アカデミー時代」はこんなもの……。実質、半年もいなかったのだから、書く事も限られる。
 しかし、何度も書くけど、「さらば〜」の試写会の熱気は凄かった。ファンを集めて行われた「試写会」は、数カ所の劇場に分かれて行われたが、メイン会場は渋谷の今はなきパンテオン劇場で、 有名人をみたら誰でもいいから写真にとっておけと言われて、何枚か取った。
 中で記憶に残っているのは、高島忠雄と二人の息子。カメラを向けたら3人揃って直立不動になってくれた。それから、落語の立川談志。疲れていたみたいで上映途中で会場から抜け出し、ロビーの ソファで、大口を開けて寝ていた。落語の枕のネタとしてでも使う積もりで見に来たのだろうか。 それから、とても有名な女優さんで、私も名前は知っているのだが、それを見つけたファンクラブの女の子に、「ほら、あそこにいるから撮って撮って!」と何度もせかされながら、どうしても見つけられなかったこと を覚えている。その「女優」さんは、徐々に私に近づいるらしく、「あそこ!」は、やがて「ほら、ここ!」と、私の目の前にまで迫ってきたらしい のだが、それでもついにわからず、「あ〜あ、いっちゃった」と非難されたが、よほど、地味な人だったのだろう。名前も忘れてしまった。
 しかし、試写会は試写会。本当に大事なのはその後なのだが、事前に盛り上がり過ぎて本番でぼしゃるという、よくある失敗に見舞われてしまった。もちろん、マスコミは「空前の大ヒット」と騒いだし、赤字になるようなことはなかったと思うけれど、実際は、期待した程でなかったことはまちがいない。
 もっとも、考えてみれば、試写会のあの熱気を超える熱気があるはずもないのだが、あれだけ盛り上がってしまうと「夢」がわすれられなくなる気持ちもわからないではない。
 とはいえ、先刻見た西崎氏のHPに、「私(西崎)は今もヤマトで再起を目指しています」とか、「これを読んでいるあなたがまだ若かったら、お父さんお母さんに“ヤマトって、どんなアニメだったの?”と聞いてください」とかあるのを読むと、哀れを極める姿に、いい加減にしろと怒りすら覚えるが、でも、今さら「現実に気づけ」と言ってもしょうがない。
 先に少し触れた西崎代表と松本零士との間で長年争われてきた「ヤマト」の著作権問題も、ウィキペディアによると、「西崎代表に著作権所有者を名乗る事を許すが、実質的権利は持たせない」という結論となったそうで、これは、もはや刑務所で死を待つだけの身となった老西崎に対する、せめてもの「贈り物」ということなのだろう。

 こうして、代表とファンたちの記憶に封じ込まれた「ヤマト」に代って現れたのが、「ヤマト」とはあらゆる点で、あまりにもことなっているが、「ガンダム」ということになる。

戻る 続く